2000年を機に新たな世紀とスポーツを創造するべく「ラランジャ・スポーツクラブ」から「アカデミー・オブ・スポーツ,ラランジャ京都」と改名しました。 スポーツクラブからアカデミーへと発展した理由は、グローバルな視野を持った若人の育成・教育の場にするためです。スポーツを通じての国際性・教養・文化を吸収した青少年達が、 将来、スポーツだけではなく他の分野でも活躍していけるよう教育することが私たちの役割です。サッカーだけに留まらず、スポーツ全般を視野に入れたクラブ作りと運営を行っています。
1987年 |
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創始者・板垣泰一(現顧問)が菊の花幼稚園「菊の花サッカークラブ」でサッカー指導を始める。 |
1991年 |
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中学生チーム「北山FC」(後のAS.Laranja京都 U15)を創設 |
1992年 |
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小学生チーム「RiOサッカークラブ」、「遊友サッカースクール」を創設。 |
1996年 |
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「北山FC」が日本クラブユース選手権(U-15)京都予選で初優勝。 |
1997年 |
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「ラランジャスポーツクラブ」と名称を改め、遊友サッカースクール、ラランジャRiO、ラランジャ北山という3つのカテゴリーでの一貫指導をさらに発展させていく。 「ラランジャ北山」がチーム発足以来初の全国大会へ出場。 |
2000年 |
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上田滋夢(元日本サッカー協会強化委員/京都教育大学総監督/当時)が副代表就任。 今までのラランジャのスタイルを継承しつつ、新たなビジョンを加えた"Academy of Sports,Laranja Kyoto=AS.ラランジャ京都"へと組織改編。 京都教育大学体育会サッカー部OBが再結集して創設した京都紫陽クラブを併合し、"AS.ラランジャ京都Top Team"を発足、創設1年目で京都社会人サッカーリーグで初優勝を飾る。 |
2002年 |
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高校生チームAS.Laranja京都 U18を創設、関西ユース連盟へ所属。Top Teamが京都社会人サッカーリーグで3連覇、関西府県リーグ決勝大会優勝を飾り、関西社会人サッカーリーグ昇格を決める。重野幸三郎(U15担当)が(社)Jリーグへ(HRディベロップメント) |
2003年 |
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AS.Laranja京都 U18が関西ユース選手権で優勝。AS.Laranja 豊川発足、U-15チーム、幼児から中学生までのスクール、GKスクールを実施、安達宏道(TOP担当)が(財)日本サッカー協会公認S級ライセンス受講(当該年度取得) |
2004年 |
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上田滋夢代表が名古屋グランパスエイトのテクニカルディレクター就任。 Top Teamが関西社会人リーグで初優勝。JFL昇格を目指して全地域社会人決勝大会に出場するが、惜しくも破れる。 |
2005年 |
4月 |
鬼塚慎一(京都教育大学監督)がGM(ゼネラルマネージャー)に就任。 |
9月 |
京都府相楽郡精華町で「精華町サッカースクール」開始。 |
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越智健一郎(京都・ユースディレクター)がJFA公認キッズインストラクター資格取得、京都サッカー協会キッズ委員会委員長就任。 |
2006年 |
2月 |
上田代表が名古屋グランパスより復帰。 「精華町サッカースクール」を発展させ、AS.ラランジャ学研都市へと改編、京都府南部地域の発展を目指す。越智文啓(如水館高校講師兼コーチ,UEFA公認コーチ)がディレクターに就任。 |
4月 |
内閣府より広域特定非営利活動法人AS.ラランジャと承認される。 |
2009年 |
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Top Teamが関西サッカーリーグにて2位。地域決勝大会へ進むがJFL昇格はならず。 |
2010年 |
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小学生チーム AS.Laranja京都 U12と豊川 U12が上海サッカー協会主催の国際大会に出場。中学生チームU15(京都)も招待を受ける。 |
2011年 |
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上海サッカー協会主催のU14国際大会にAS.Laranja京都 U15、AS.Laranja豊川 U15がJリーグ3チーム、全国の強豪と共に出場。本拠地を右京区京北町へ移管。京都市との連携を強化へ。 |
2015年 |
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Top Teamが関西サッカーリーグカップで準優勝 |
2016年 |
10月 |
Top Teamが全国社会人サッカー大会関西予選を勝ち抜き全国大会へ。 |
12月 |
Top Teamが関西サッカーリーグカップで2年連続決勝へ。PK戦にて惜しく優勝を逃す。 |
2017年 |
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Top TeamがDiv2にてリーグ戦2位。1部昇格を決める。 |